近年、働き方改革するということで、学校現場でも様々な取り組みが行われている。
しかし、残念ながら、ここでも
『手段の目的化』が起こっている。
手段の目的化をご存知ない方向けに、簡単に説明すると
例えば、学校で教室掃除をするとしよう。その際の目的は何だろう?
間違いなく、【教室を綺麗にする】ことである。
雑巾がけをしている児童が鼻歌を歌っている。
「静かに掃除をしなさい!」と教師が注意する。
一見、よく見られる光景だが、疑問に思う必要がある。
きちんと雑巾がけをしている。その児童が鼻歌を歌っているのだ。
友達とお話をしていて、雑巾がけがおろそかになっている児童がいる。
この児童に対して、「静かにして、集中して雑巾がけをしてほしい!」
この注意は何もおかしくない。
掃除の目的は、【綺麗にすること】これが達成されているかが重要であって、掃除の遂行に支障をきたしている場合に、【静かにする】という手段が必要になるだけである。
さて、話を戻そう。
学校では、現在、様々な働き方改革が実施されているが、個人的に全く意味がなく、考えてほしいことがある。それが、
・定時退勤
・休日出勤の規制
である。
私には、2人の子供がいる。
子育て世代に限らず、各家庭、個人にはそれぞれの生活スタイルがある。
言うまでもなく多様であり、それでいいはずである。
私も子供が生まれ、お風呂に入れる時間や食事の時間を気にするようになった。
しかし、たまに実感に預かってもらい、お風呂や食事を済ませてくれる場合がある。
一方で、熱が出ていて、すぐにでも帰りたい。
しかし、仕事が終わっていない。妻と相談して、土日の朝早い時間だけ仕事ができそうだ。
こんな場合があるのである。
時間を極端に気にし始めている背景には、過労死の問題や教員の処遇改善など、理由はさまざまであるが、教員には現在給与に含まれている以上の残業代を出すことができないため、【定額働かせ放題】という言葉が出てくるくらいの実態があった。
これらが、メディアに取り上げられ、それが現在の教員採用試験の倍率低下などとセットで報道されると、めでたくブラックな職場として人気が低下し、負のスパイラルに陥っていく。
そして、頭の良い上層部の方々は、分かりやすくメディアに取り上げていただいた勤務時間を減らそうと、各学校長へ通達を行う。校長は、勤務時間を減らすということを学校の課題として、勝手に学校の目標として取り上げ、時間の制限が行われる。
ここで考えなければならないことは、【月〇時間以内の残業】というのは、働き方改革の目的として正しいのかという議論が、働いている我々が全く議論していないということである。
若かりし頃、私は学校で日を跨いだことがあった。
しかし、準備して準備して、1時間の授業に命をかけてきた経験があるからこそ、父となった今はある程度効率的に仕事が回せるようになった。
父として、家庭との両立を図るために、働くことができない日がある一方で、働きたい日もあるのである。
これをフレキシブルに対応できるような職場になってほしいと思うし、それらが難しいにしても議論する時間が欲しいと切に願っている。
法律とかその辺りは、私の尊敬している先生方が必死に戦っているので、我々が口を開くまでもない。
市町村教育委員会や校長などは、
『働き方改革』が『働かせ方改革』になっていることに気付いてほしい。
『働き方改革』は、誰を主体として、何を目的として行うべきか。その辺りを是非とも頭のよい方々には考えていただきたい。そんな風に考えている
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